映画評論5 灼熱の魂 【レバノン内戦の苦悩を描く映画】

1 はじめに

 震災、原発事故と、2011年は大変な年でした。2011年にも多くの映画を見ましたが、原発について何か発信したい等と考えつつ、現実のあまりの重さに筆が乗らず、結局、映画評は一本も書けませんでした。今、2012年1月5日です。今年は、気持ちを新たにして、あまり気負わず、自分のペースで映画と映画評を楽しみたいです。

 さて、2011年最後に見た映画は「灼熱の魂」でした(もう一本、「山本五十六」という映画も見ましたが、これは次の機会に触れましょう。)。そして、別に触れる「サラの鍵」と並んで、今を代表する、最高の芸術作品であると思い、ここにご紹介する次第です。

2 映画のあらすじ

 さて、映画は、何人かの子どもが兵士たちに髪を切られ、兵隊にされていくシーンから始まります(レバノン内戦でも「少年兵問題」が発生していたことが分かるシーンです。)。 カメラは一気に切り替わり、現代のカナダへ。ここで、アラブ系移民の姉弟、ジャンヌとシモンは、公証人から、母親ナワルからの遺言を聞かされます。
 遺言で、ナワルは、ジャンヌとシモンに、こう告げます。

 「あなた達の父親と兄を捜しなさい。そして、私からの手紙を渡しなさい。」

 シモンは自分たちの心を開かなかった母の勝手な願いに反発しますが、ジャンヌの方は、遺言の真意を知るため、母の母国である中東の国を訪れる決意をします。母のルーツを知る手がかりは、母の若き日のたった一枚の写真でした。

 場面は、一転して、1970年、中東の某国南部の村デルオム(架空の村でしょう。)。キリスト教系の家庭に育った、若き日の母ナワルは、異教徒であるアラブ系の難民と恋に落ち、子どもを授かったとして村を追放されてしまう。ナワルは、祖母の薦めで大都市ダレシュの大学でフランス語を学ぶが、いつか息子と再会することを夢みていた。そこで、キリスト教徒とイスラム教徒との対立が始まり、内戦が勃発。ナワルは、息子と再会するため、南部を目指す旅に出る。やがて、ナワル自身も内戦に巻き込まれ、呪われた人生を送ることになる。
 
 場面は、現代へ。ジャンヌは、母親の写真が南部の監獄、クファリアットで撮影されたことを知り、クファリアットを訪ねる。かつて監獄で働いていたという老人に出会ったジャンヌは、彼の口から、ナワルがこの監獄に15年間閉じこめられ、拷問を受けていたことを知る。さらに調査を進めていくジャンヌは、やがて自らの出生の秘密を知ることになる…。

3 レバノン内戦

 ここで、映画の背景となったレバノン内戦について簡単に触れておきましょう。
 永くフランスの植民地にあったレバノンは、第二次世界大戦中の1941年11月26日に独立を果たします。経済は急成長し、首都のベイルートはホテルが並ぶリゾート地としてにぎわい、「中東のパリ」とまで言われました。ところが、実はレバノンは、キリスト教徒とイスラム教徒の各宗派が混在する、非常に不安定な国だったようです(歴史教育者協議会編「中東Ⅱ」80頁によれば、当時キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の18の宗派が入り乱れており、とりわけ、南部に住むイスラム教シーア派は山岳地帯のキリスト教マロン派に対し、経済的にも政治的にも劣位に置かれていたという。広河隆一「パレスチナ」岩波新書黄版78頁によれば、旧宗主国であるフランスがキリスト教のマロン派をバックアップする形で植民地主義を浸透させていたという。)。

 第2次大戦終結後、アラブ地域の唯一のユダヤ教の国であるイスラエルが誕生しますが、イスラエル入植者に土地を奪われた「パレスチナ難民」問題が発生。アラブ諸国は、イスラエルに反発して、戦争となります(中東戦争)。第2次中東戦争(1956年)にアラブ側が敗北したあと、パレスチナ解放機構(PLO)が結成され(1964年)、反イスラエル闘争の中心になり、その拠点をヨルダンにおきます。ところが、1970年、ヨルダン政府がPLOを追放した(「黒い9月」事件)ため、PLOは今度はその拠点をレバノンに移します。それに伴い、大量のパレスチナ難民がレバノンに流入、武装していた彼らはキャンプを事実上の治外法権地帯とし、特に南部には「ファタハ・ランド」と呼ばれるPLOの支配地域が作れました。この動きに国内最下位に置かれていたイスラム教シーア派は共感を示しますが、マロン派などキリスト教各派は反発、一触即発の緊張が高まります。
 そして、1975年4月13日、パレスチナ人の乗ったバスが、ベイルート郊外で襲撃され、女性や子どもを含む27人が死亡する事件(広河前掲79頁。キリスト教右派の集会にPLO支持者が教会に発砲したとする説もあるようです。)をきっかけにキリスト教諸派とイスラム諸派の武装勢力が争う全面的な内戦に突入してしまうのです。

 内戦は、イスラエルやシリア、英米仏の多国籍軍の介入などでさらに泥沼化します。とりわけ、イスラエルは、PLO打倒を掲げて1978年と1982年に武力介入を行い、82年の介入の際には、キリスト教右派の民兵がイスラエル軍の監視の下でパレスチナ難民を虐殺する事件(サブラ・シャティーラの虐殺。これを扱った映画に「戦場でワルツを」(2008年 アリ・フォルマン監督)があります。)も引き起こしています。

 内戦は、1990年のシリア軍の侵攻により一応終結しますが、国土は荒廃し、とりわけ美しかったベイルートは瓦礫の山と化してしまいます。なお、内戦の中で勢力を伸張したイスラム教勢力のヒズボラはレバノンに駐屯し続け、イスラエル領に侵入して兵士を拉致する等したため、2006年7月には、イスラエル軍はレバノンに再度侵攻する事態となっています。

4 映画と「レバノン内戦」の関係

 この映画には明らかに「レバノン内戦」を想起させるシーンが登場します。例えば、ナワルがイスラム系の「難民」と恋に落ちる一方、他のキリスト教徒らがアラブ系の「難民」の流入に怒る場面がありますが、これは明らかにレバノンに流入したパレスチナ難民を念頭に置いていると思います。また、瓦礫と化したホテル街での銃撃戦などは明らかに「ベイルート」を想起させます。ナワルが乗っていたバスがキリスト教私兵に襲われる印象的なシーンは、1975年4月13日の事件を想起させます。また、そもそも、原作者のワジディ・ムアワッドさんは、ベイルート生まれでレバノン内戦を逃れてカナダに渡った人物ですし、その友人であるスーハ・ベチャラさん(レバノン内戦のさなか、戦争指導者の暗殺を実行し、10年間も独房に入れられ拷問を受けた女性)こそがナワルのモデルではないかと思われます(映画パンフレットより)。

 ところが、この作品では、「レバノン」をあえて「中東のある国」とぼかして描いています。「ベイルート」は「ダレシュ」という都市に置き換えられ、「ファタハ・ランド」は、「キリスト教徒の多い地域」として、全くあべこべの設定がなされています。そういう映画を「レバノン内戦を描いた映画」のごとく評論するのはあるいは間違いかもしれません。

 しかし、映画であれ何であれ、その背景となった時代の現実と完全に切り離して理解することもまた誤りでしょう。この映画は、まぎれもなく「レバノン内戦」を描いています。私は、この映画が「レバノン内戦」を描いた映画だということを念頭に置くことが映画の理解を助けると思っています。他方で、私は、あえて場所を特定しなかった作者の意図も大切にしたいと思います。その理由は後に述べることになるでしょう。

5 宗教対立と憎悪の連鎖

 さて、映画では、キリスト教派、イスラム教派の双方が、私兵を使って対立する市民を虐殺するシーンがこれでもかというばかりに出てきます。とりわけ、ナワルが乗っていたバスがキリスト教私兵に襲われるシーンは印象的ですね。映画館の観客席に座っていても、あの銃弾の音やガソリンを撒く音は、心底怖かったです。ナワルは、九死に一生を得ますが、この場面を境に人が変わってしまい、自ら暗殺者になって戦争に参加してしまいます。

 「人々は何故たたかっているのか?」この映画は、この問いに正面から答えてくれません。イスラム教徒の乗ったバスがキリスト教徒に襲われ、子どもまでころされる先のシーンを見ると、「なんと宗教とは恐ろしいのだろうか」と思い、戦争の原因は、「宗教の違い」であるような思いにも駆られます。以前、私はこの連載の「アバター」の項で、「戦争の原因は、人間(とりわけ資本家)の強欲」と指摘しましたが、「宗教の対立」も「戦争の原因」に加えなければならないでしょうか?実際、キリスト教文明とイスラム教文明の対立を「文明の衝突」等と呼んで、新たな戦争の火種として位置づける見解も多いようです。

 しかし、国と国、あるいは人と人は、宗教の違いだけでは戦争はしません(キリスト教のアメリカは、イスラム教国のサウジアラビアと非常に友好な関係にあります。)。今回、私が僅かに勉強した範囲だけで言っても、レバノン内戦の原因は、「宗教対立」だけではありません。そこには、キリスト教派とイスラム教派との貧富の差があるようですし、政治的に不利に立たされたキリスト教派に対するイスラム派の不満もあったようです((歴史教育者協議会編「中東Ⅱ」80頁など)。そして、何より、両者の対立を決定的にしたのは、パレスチナ難民の流入であり、その背景には、「パレスチナ問題」という、20世紀の人類が負ってしまった最大の国際問題がありました。「パレスチナ問題」は「文明の衝突」等という大仰な問題でもなく、基本的には土地や富の帰属の問題と捉えるべきであり、その解決には、絡まった糸をひとつひとつ丁寧にほぐしていくような作業が必要でしょうが、「宗教問題」「文明の衝突」等といった大仰な問題のたてかたでは、かえって問題の所在を曇らせると思います。

 むしろ、物語で、イスラム教徒との融和を説く平和なキリスト者だったナワルが、イスラム教徒の側に立って闘うことになったことに目を向けるべきでしょう。ここで、ナワルは、自らの宗教のためにたたかうのではない。市民を殺す殺人者集団になったキリスト教民兵に対する怒りからたたかうのです。

 あの優しいナワルが「殺人者」になってしまう。
 まるで、民兵の敵に対する「憎悪」がナワルに「感染」したように。

 ここで、私たちは、真に恐ろしいのは、「宗教対立」ではなく、憎悪が憎悪を生み、復讐が復讐を呼ぶ、「憎悪の連鎖」であることに気づくのです。

 実際、大戦後の中東では、パレスチナ問題を巡って、虐殺と復讐が繰り返されました。その最初期のものは、1948年のイスラエル建国時にパレスチナのディール・ヤシンで起こったイスラエルによる住民虐殺と、その報復としてのアラブ軍によるユダヤ移民に対する虐殺行為でしょう(広河前掲52頁)。PLOによる爆弾テロ攻撃がレバノンに対するイスラエルの武力介入を招いたし、ついに、「サブラ・シャティーラの虐殺」のような、民間人虐殺事件を引き起こしています。中東の現代史は、「憎悪と復讐」の歴史だったといっても言い過ぎではないように思います。

 中東発の「憎悪の連鎖」は、「9.11同時多発テロ」事件を介して、世界に広まりました。アフガン戦争、イラク戦争は、その「憎悪の連鎖」の延長にあるだろうと思います。原作者のワジディ・ムアワッドさんが、物語の舞台を特定しなかったのは、「レバノン」に限定せず、世界中の紛争の種となっている、もっと「普遍的な問題」を描きたかったのではないか、と私は思っています。
 
6 憎悪と暴力の連鎖を断ち切るもの

 この映画の素晴らしいところは、映画の最後に、その「憎悪の連鎖」を、見事に断ち切って見せるところにあります。多くの評論家は、この映画を「ギリシャ悲劇のようだ」と評しているようですが、戦争の原因となる「憎悪の連鎖」を断ち切る行いは、「悲劇」ではなく、「奇跡」でしょう。奇跡は、ナウルの娘と息子の出生の秘密が明かされ、ナウルの手紙が家族に手渡される瞬間に起きるです。

「どんなことが起こっても、私はあなたを愛している」

 ナウルは、長男に宛てた手紙の中で優しく長男の心を包みます。ナウルの言葉が、奇跡を起こし、人と人の憎悪の連鎖を断ち切り、血にまみれ荒廃した大地を浄化し、人々の心に癒しを与えたとき、物語は終わりを告げます。「憎むべき相手であっても、母親の愛に包まれるべきである」というメッセージを残して。

 奇跡の種明かしは、映画を見てください。この稿は、ナウルの手紙の引用で締めくくりましょう。この映画の主題を端的に表現していますから。

 どこから物語を始める?

 あなたたちの誕生?
~それは恐ろしい物語
 あなたたちの父親の誕生?
~それはかけがえのない愛の物語

 あなたたちの物語は約束から始まった。怒りの連鎖を断つために。
 あなたたちのおかげで約束は守られ、連鎖は断たれた。

 やっとあなたたちを腕に抱きしめ、子守歌を歌い、慰めてあげられる。
 共にいることが何よりも大切…。

 心から、愛している。

(「灼熱の魂」 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督 2010年カナダ )


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