東京地裁、反原発連合による日比谷公園利用義務づけ申請を却下

11月2日、東京地裁は、都に対して日比谷公園の利用を仮に義務づける決定を求めた「首都圏反原発連合」の訴えを却下しました(主任は小島延夫弁護士、私の弁護団に参加)。これにより、11月11日の「国会100万人包囲デモ」は計画を変更し、デモをせずに、国会周辺に直接集まる方法に切り替えざるを得なくなる危険がでてきました。首都圏反原発連合は、現在、東京高裁に即時抗告中。東京高裁(市村裁判官)は、早ければ明日、決定を出すと言っています。

決定書類はこちら→http://mimamori-ben.jugem.jp/?eid=11
http://mimamori-ben.jugem.jp/?eid=5

いうまでもないことですが、「デモ」は、主権者たる国民が政治に対して自己の意見を表明する、もっとも直接的かつ有効な手段であり、政治権力がこれを制限することは、よほどの理由があってもしてはならない。これに対し、東京地裁は、当日、他の催事があるから混乱が生じるという、東京都側の言い分を、ほとんど証拠もなく、一方的に認め、訴えを却下しました。しかし、他の催事(菊花祭り等)は、公園の別の場所で行われるので、全く競合の危険はなかったのです。それにも関わらず、東京地裁は、大した証拠もないのに、「雑踏が生じる」「交通事故の危険がある」等として、一方的に事実を認定。これは、事実誤認を通り越して、「でっち上げ」「訴訟詐欺」の部類に入っています。

そもそも、日比谷公園は、国会へのデモの出発点として広く認められた場所であり、これまでは、何の規制もありませんでした。朝日新聞の取材にあるとおり、東京都が方針を変えたのは、今年7月29日の反原連によるデモ以降。人々のパワーに圧倒された東京都が、これを押さえ込むために、方針を変えたと言わざるを得ません。

情けないのは、やはり裁判所。民主主義にとってデモがどれほど重要なのか、全く理解していない。これは裁判官の質の問題だろうと思います。これを機会に、デモとは何か、民主主義とは何か、法曹界は今一度議論すべきだと思います。