映画評論6 フラガール 【原発ゼロと復興への祈りを込めて】

1 今日という日は

 今日、2012年5月6日は特別な日です。なにしろ、日本に54基あった原発が42年ぶりに全て停止し、「原子力発電」でない電気によって1日を過ごせる日なのですから。原発についての映画はおいおいご紹介したいと思いますが、今日という日を記念して、原発事故の被災地、福島県に関連する、大好きな映画「フラガール」について書いてみようと思います。被災地の真の意味の復興と原発のない世界への祈りを込めて。

 映画「フラガール」の舞台は、福島県いわき市。常磐ハワイアンセンター(現「スパリゾートハワイアンズ」)で知られるリゾート施設と、そこで踊るハワイアンダンサー(“フラガール”)たちの誕生を描いた感動の映画です。
 映画の主人公は、フラガールの第1号となった女性、谷川紀美子(蒼井優)。蒼井優さんが地元の女性を巧く演じていて、実に好感がもてます。もう一人の主人公は、ダンサー養成のために都会から赴任してきた平山まどか(松雪泰子)。都会での生活に疲れた女性を巧く演じています。

 この映画のハイライトは、なんといっても、蒼井優さんが踊る「タヒチダンス」ですね。ハワイアンと違い、かなりパワフルで激しいダンスなのですね。とりわけラストの舞台は大変な演技で、これだけでも一見の価値があります。

 とはいえ、弁護士の私には、芸術を語る能力は皆無ですから、ダンスの話は詳しい人に任せ、「人権と平和」の観点から映画を見てみましょう。

2 映画の時代背景

 映画は、昭和40年、石炭から石油というエネルギー政策の転換を背景に、大規模な規模縮小と人員整理の危機に揺れる常磐炭坑を描いて始まります。紀美子の母・千代(富司純子)も兄・洋二朗(豊川悦司)も、炭鉱で働いています。紀美子の父は、落盤事故で亡くなりました。この街では、男たちは数世代前から炭坑夫として、女たちも選炭婦として鉱山で働いてきました。紀美子も典型的な炭坑一家の娘だったのです。
 経営難をどうしのぐか。会社の労務担当者・吉本紀夫(岸部一徳)が考えた起死回生の策が「東北にハワイを作る」、ハワイアンリゾートという大胆なアイディアでした。映画は、吉本の大胆なアイディアが、徐々に女性たちに希望を与え、困難を乗り越えて実現化するまでを描きます。そこには、時代の変化に翻弄されつつ、力強く生きていこうとする庶民の姿が生き生きと描かれているように思います。

 朝日コム「愛の旅人」(注1)によれば、平山まどかのモデルは、ダンサー養成のため創設された「常磐音楽舞踊学院」の講師であり、日本のフラダンス界草分けの早川和子さん(1932年生まれ)。紀美子のモデルは、学院第1期生のリーダーで今や後進の指導にもあたる小野(旧姓豊田)恵美子さん(1944年生まれ)です。「ハワイアンリゾート」は、雇用対策を迫られ、百八十度の路線転換を図る当時の中村豊社長のアイデアだった、といいますから、吉本紀夫のモデルは、常磐炭礦株式会社(現:常磐興産株式会社)・中村豊社長だということになるでしょう。
 常磐音楽舞踊学院の発足は1965年4月。翌66年1月の開業まで10ヶ月の特訓でダンスを身につけたことになります。講師の早川和子さんは当時33歳。映画で描かれているとおり、悪戦苦闘しながらの開業だったに違いありません。
 小野恵美子さんは福島県いわき市の出身で当時21歳。映画と異なり、小学校2年生からクラシックバレエを続け、貴重な舞踊経験者として主将に指名されたとのことです。

3 まどか先生が持ってきた“希望”の種

 映画の描く「フラガール」誕生への道のりは平坦ではありません。なによりも周囲の無理解。当時、炭坑の娘が肌を見せてダンスを踊るということには、大変な抵抗があったようです。人員整理への反発から組合も炭鉱を閉じて“ハワイ”を作る話に大反対。紀美子の母親も親友・早苗の父親もフラに反対。早苗は父親に顔を殴られ、一家で北海道へ移住してしまう。紀美子は母親から勘当され、家を追い出される。大柄なフラガール・小百合(山崎静代)の父親は小百合が遠征で留守をしている時に亡くなる。これが周囲の猛反発を受け、ついにまどか先生が街を出て行く話になってしまいます。

 それでも、まどか先生の撒いた希望の種は、少しずつ街の人たちの心を変えていました。フラダンスを身につけた女性たちは、鉱山で働くだけではない、新しい生き方があるのだと気づき始めていました。フラダンスは、単に“華やかさ”の象徴だっただけではなく、女性が自立し、親や男性に頼らず生きていき、傾きつつある街すら支えることができる「女性の強さ」の象徴でもあったのです。
 周囲の男たちも、そのことに気づき、すこしづつ新しい生き方を模索し始めました。映画の終盤で組合員たちもフラガールに協力し始め、公演のためにストーブを集めたりし始めました。
 映画のまどか先生は、乱暴で酒乱で借金持ちでしたが、彼女の伝えた「新しい生き方」こそ若い女性たちにとっては、“希望”だったのです。そして、女性たちが輝くことこそ、街全体が輝きを取り戻すきっかけになっていくのです。まどか先生は、女性たちに夢を持たせる大切さに気づき、女性たちと一緒に生きていくことに喜びを感じ始めます。
 ここの描き方が、本当に素敵です。
 
 映画のクライマックス、田舎の駅で電車に乗って街を去ろうとするまどか先生を、フラガールたちが引き留めるシーンがあります。実は、街の女性たちが引き留めようとしたのは、まどか先生という“人”ではなく、まどか先生が撒いた“希望”の種だったのでしょう。このシーンが感動的なのは、そのことを、観客たちが、街の女性たちと共に、素直に共有できるからではないでしょうか。

4 時代の変化の中で、それぞれの生き方を選ぶ人々

 この映画の素敵なところは、やさぐれで自暴自棄のまどか先生に、「新しい生き方」を伝える伝道師のような役割を与えるとともに、他の様々な生き方を否定しないことです。

 まず、紀美子の母・千代(富司純子)。まどか先生にタイマンを張り、「女はなあ~!夫を助けて、子供さ育てて、死ぬもんだ。そったふうに、腰を振って踊るもんでねえ!」と叫ぶ、実に強いお母ちゃん。映画は、この、封建的とも思える女性の存在も丁寧に描き、紀美子との和解を感動的に描きます。

 映画の序盤、“求む、ハワイアンダンサー”の貼り紙を見せながら、ここから抜け出す最初で最後のチャンスだと、紀美子を誘った親友・早苗。最後は酒乱の父とともに街を去っていきますが、遠くで紀美子を見守っている。新しい生き方を模索して挫折した早熟な早苗。映画は彼女を重要な人物として丁寧に描いています。

 時代の変化の中で、生き方を模索しているのは、男たちも同じです。

 まずは、ひょうきんな岸部一徳が演じる吉本紀夫。彼は新しい時代を生き残るため「フラダンス」を提唱しますが、それだけでなく、まどかや紀美子たちの奮闘を優しく見守る「新しい男」像を代表しているといえます。

 炭鉱労働者の中にも、炭坑に見切りをつけ、ハワイアンセンターを選ぶ者が出てきます。洋二郎の親友・三宅弘城(猪狩光夫)は、ハワイアンセンターに椰子の木を運び入れるところで洋二郎と喧嘩します。映画は、三宅が椰子の木に抱きついて眠るシーンは実にユーモラス。彼は時代に翻弄されながらも力一杯生きる庶民の代表なのでしょう。

 そして、なんといっても、紀美子の兄・洋二朗(豊川悦司)。無骨で不器用な彼は、最後まで炭坑に拘ります。時代の変化に抗しつつ、自分の生き方に拘り続ける。これはこれで一つの生き方です。私は、「男らしい」という言い方は嫌いですが、いい意味での「男らしい」という言葉をギリギリ限定して使うとすれば、このような頑固で一徹な、古くさい生き方を言うのかもしれません。

 脱線ですが、リベラルを自称する私も、新撰組の土方三を描いた司馬遼太郎の「燃えよ剣」には、思わず「かっこいい」と感じてしまいます。それは、幕末という変革の時代に、武士という古い生き方を貫いた土方歳三に、頑固で古くさい生き方、つまり「男らしい生き方」の典型を見いだして、ある種の魅力を感じてしまうからかもしれません。
 
 まどか先生や紀美子ら女性たちの躍動を描くこの映画は、一方で、そんな男の「古い」生き方を否定せず、暖かく見守ってくれているのです。

5 「おんなは強えなぁ~」
 
 そんな“男らしい”お兄さんをして、紀美子に「女は強えなぁ~」と言わしめるシーンがあります。紀美子に「あたしが有名になったら何買ってあげよっか?」と聞かれるシーンです。
 
 この言葉に象徴されるとおり、この映画に出てくる女性はみんな強い。

 筆頭は、まどか先生。炭坑が傾いて凹む洋二朗に、「そうやって何でも時代のせいにしてなさいよ!」「そんなことだから、いつまでも今の暮らしを抜け出せないのよ!」とビシリ。早苗の父親を風呂場で追い回すシーンは実にユーモラス。洋二郎とのラブシーンがあるかと思いきや、最後までそれはありません。男に頼らないまどか先生に、それはあってはならないのです。

 対する紀美子の母・千代も強い。「女はなあ~!夫を助けて、子供さ育てて、死ぬもんだ。そったふうに、腰を振って踊るもんでねえ!」という台詞は既にご紹介しました。まどか先生が「新しい生き方」の代表なら、千代は、「古い生き方」の代表であり、紀美子は二人の子どもなのでしょう。
 そのお母さんが紀美子の生き方について「あんな生き方もあっていいんでねえか」と気づいたら、そのパワーがすごい。もたもたする男たちをどやして、ストーブを集めて廻る。あの強さはどっから来るんだろう?

 フラガールたちもやっぱり強い。辛くても辛くても立ち上がる。だから、ラストの涙が本当に美しい。
 
 洋二朗をして、「女は強えなぁ~」と言わしたのは、女性たちの単なる「気の強さ」だけではないように思います。時代が変動期を迎え、既存の価値観が変わろうとするとき、既存の体制の中で生きてきた男たちは、戸惑い、変化に対応できなくなります(吉本のような奇才児を除いて)。他方、女性は、不思議な力でそれを乗り越えていくことができるようです。

 昭和40年代といえば、高度成長期が始まったばかり。鉱山閉鎖だけでなく、時代は様々な意味で変革を迎えていました。女性の社会進出やそれに伴う価値観の変化もそうでしょう。

 洋二郎の慨嘆は、時代の変化にしなやかに対応し、困難な変革の時代を切り抜けていく女性の底力に向けられたもののように思います。

6 震災とフラガール、そして真の意味の復興のために

 さて、2011年3月11日、東北地方を襲った震災は、常磐ハワイアンセンター(現「スパリゾートハワイアンズ」)をも直撃しました。地震や津波そのものの被害はほとんどなかったものの、福島第一原発による被害が致命的でした。なにしろ、「スパリゾートハワイアンズ」は福島第一原発から50㎞ほどしか離れていないのです。「スパリゾートハワイアンズ」は企業にとって致命的になるであろう、204日間の休業に追い込まれるのです。

 ここで、私は、福島の人々が、国のエネルギー政策に翻弄された歴史を振り返らざるをえません。1870年代に茨城県から福島県浜通りにかけての海岸線に面する丘陵地帯にかけて発見された炭坑は、首都圏に最も近いという理由で注目されました。映画のモデルとなる常磐炭礦株式会社がいわき市・北茨城市一帯の炭鉱を経営するのが1944年。常磐ハワイアンセンターの設立が1966年です。1976年に常磐鉱山は閉山します。映画が描いたとおり、フラガールが誕生したのは、石炭から石油へとエネルギー政策の変化が要因でした。
 その後、福島県がどのような経緯で原発を受け入れたのか、興味があります。鉱山を失った街で、首都圏に供給する電力を作って、再び街を興そうとしたのか。鉱山から「原発」という歴史の皮肉をつなぐものは、なんだったのか。

 この点、広河隆一氏は、その著作で「この近代産業の発展を支えてきた旧エネルギーの終焉と原子力誘致の動きは、強く関連している」と述べています(注2)。

 どのような経緯であるにせよ、福島県が原発を招き入れたことは、福島の人々が再び国のエネルギー政策に翻弄される道を開いてしまったようです。現在、福島原発事故の影響で避難生活を強いられている人は、16万人に及ぶと言われます。高橋哲哉氏の表現を借りれば、原発は「犠牲のシステム」の上に成り立っており(注3)、フラガールたちを含めた福島の人々は、その犠牲になってしまっているのです。

 そんな時代の激動と苦難の中で、フラガールたちは、驚異的な働きを見せます。なんと、センターの休館中、「フラガール全国きずなキャラバン」と称して、無料で全国の避難所を慰問して廻る、全国キャラバンを敢行したのです(注4)。

「新宿高島屋のステージで加藤は、フラガールたち自身の思いをこめたメッセージを読み上げた。

  みなさん、こんにちわ。
  私たちは、福島県いわき市にあるスパリゾートハワイアンズから参りました。
  スパリゾートハワイアンズは現在休館していますが、フラガールは全員元気です。
  いまから46年前、私たちの先輩であるのフラガールが、地域や仲間との
  きずなの力で、炭坑が閉山になる危機に向かって果敢に立ち上がったように、
  今度は、私たちが立ち上がります。
  日本中に、笑顔、元気、希望をお見せします。
  そして、多くの方々とのきずなを深めていきたいと思っています。
  地元いわき市、福島県のために、私たちができることは、
  元気に踊りを披露することです」

 フラガールたちの公演は、26都道府県124カ所、公演245回に及んだといいます。

 問題は、原発政策という、高度に政治的な問題が関連するだけに、「絆」とか「笑顔、元気」といった感傷的な言葉だけで終わらせるべきではないでしょう(したがって、原発については項を改めて論じたいとは思います。)。

 それでも、私は、若い女性たちの力強さに、真の意味の復興への希望と祈りをこめたいと思います。未だ古い価値観に囚われ、過去の政策から抜け出せない男たちではなく。この映画に描かれた、時代の変化にしなやかに対応し、困難な変革の時代を切り抜けていく女性の底力に。

(フラガール 2006年9月23日公開 李相日監督)

注1) 朝日コム「愛の旅人」http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200709140235.html
注2)広河隆一「福島 原発と人々」42頁 岩波新書2011年8月

 なお、同書の該当部分の記載は次のとおりです。

 「いわき市から双葉郡にかけての広大な地域に栄えた常磐炭坑は、石油を中心とした「エネルギー革命」とともに1950年代から衰退しはじめ、次々と閉山していき、1985年には最後の炭坑も閉山している。この近代産業の発展を支えてきた旧エネルギーの終焉と原子力誘致の動きは、強く関連している。常磐炭坑の住民たちの娘たちが主人公となった町おこしの話は、日本アカデミー賞最優秀作新賞を受賞した映画「フラガール」でも知られている。
 高度経済成長に取り残された福島県は、新しいエネルギーとして登場した原子力産業を誘致することに必死となった。こうして、いわき市と南相馬市の間にある双葉、大熊、富岡、楢葉の町々は、やがて「原発立地四町」と呼ばれ、「原発銀座」になっていくのである。」

 
注3)高橋哲哉「犠牲のシステム 福島・沖縄」集英社新書 2012年1月22日

注4)清水一利「フラガール 3.11」講談社 2011年11月4日 118頁


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