育鵬社の公民教科書に関する意見書

image0032015年6月4日、神奈川労働弁護団、社会文化法律センター神奈川支部、青年法律家協会 弁護士学者合同部会神奈川支部、自由法曹団神奈川支部の法律家4団体が、育鵬社の公民教科書に関する意見書を教育委員会に提出しました。
内容は以下の通りです。

育鵬社の公民教科書に関する意見書(PDF)

育鵬社の公民教科書に関する意見書

2015年(平成27年)6月4日

神奈川労働弁護団
社会文化法律センター神奈川支部
青年法律家協会弁護士学者合同部会神奈川支部
自由法曹団神奈川支部

【意見の趣旨】
育鵬社の公民教科書には、日本国憲法に関する記述等において、法律家として看過し得ない重大な問題があり、子どもの学習権保障の見地から適切とは言い難い。よって、教育委員会、学校長等の採択権者に対し、これを採択しないよう求める。

【意見の理由】
第1 はじめに
現在、2016年度(平成28年度)から4年間にわたって使用されることになる中学校教科書の採択が、各地の教育委員会等において行われている。
その対象となる教科書のうち、育鵬社の公民教科書(以下、「育鵬社教科書」という。)は、憲法に関する記述等において、法律家として到底看過することのできない多くの重大な誤りを含んでいる。このような教科書が採択され、中学校で使用された場合、子どもの学習権の保障の見地から、極めて深刻な問題が生ずると言わざるをえない。
わたしたち神奈川県内に法律事務所を置く弁護士によって構成する法律家4団体は、その連名により、育鵬社教科書を採択することのないよう強く求め、ここに意見を表明する。

第2 国民主権に関する理解の誤り
1 国民主権に関する憲法上の標準的な理解

日本国憲法は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3つを基本原理とする。
このうち、国民主権とは、国の政治のあり方を最終的に決める力(主権)が国民にあるという意味であり、君主主権と対抗関係にある概念である。この主権について、大日本帝国憲法は、天皇を統治権の総攬者であって、国家の全ての作用を統括する権限を有するものとし、すなわち天皇に主権が存するものとされていた(天皇主権)。
これに対し、日本国憲法は、上記のような天皇主権を否定し、主権が国民に存するものとした(国民主権)。これにより、国民は政治の意思決定権を持つようになった。他方で、天皇は日本国民統合の象徴とされ(日本国憲法第1条)、国政に関する権能を有しないものとされ(同第4条)、憲法上の天皇の地位は大きく変わることとなった。
これが国民主権に関する憲法学の標準的な理解である。

2 他社教科書の国民主権に関する記載は、憲法学の標準的な理解に即している
他社の教科書(ただし、育鵬社教科書と同様の「つくる会系教科書」である、自由社の公民教科書を除く。以下、「他社の教科書」という。)も、国民主権について、この標準的な理解と同様に説明している。
すなわち、他社の教科書の具体的な記述をみてみると、「大日本帝国憲法のもとでは、主権は天皇にあるとされていましたが、日本国憲法の制定とともに、天皇の地位は変わりました。」(教育出版41頁)、「日本国憲法は、戦前の天皇主権を否定して国民主権の原理を採用し」(東京書籍39頁)とされている。
このように、他社の教科書では、日本国憲法制定によって天皇の地位が大きく変わり、天皇主権から国民主権になったことが適切に説明されている。

3 育鵬社教科書は、天皇主権から国民主権への大転換が記載されていない
これに対し、育鵬社教科書では、「大日本帝国憲法では、天皇は元首であり統治権の総攬者でしたが、例外的に実権を行使した以外は直接政治を行ったわけでありませんでした」(51頁)とされている。また、育鵬社教科書には、大日本帝国憲法下において、天皇主権がとられていたことの記載が一切ない。
そのうえで、育鵬社教科書は、「日本国憲法は天皇の位置づけを、大日本帝国憲法での統治権の総攬者から、日本国および日本国民統合の象徴へと、とらえ直しました。」(49頁)と記述し、あたかも大日本帝国憲法と日本国憲法との間で、天皇の地位が変わることなく存続しているかのように説明している。
これでは、大日本帝国憲法下での主権者が天皇であったことが、全く分からない。また、その後日本国憲法において、天皇主権が否定された結果として、国民主権が規定されることとなったことも、全く分からない。
したがって、育鵬社教科書では、大日本帝国憲法下では天皇が主権者であり国の統治のあり方を決めていたことの大きな問題点が全く明らかにされない。さらには、日本国憲法の制定によって国民が主権者となり、ようやく国民が国の統治のあり方を決めることができるようになったという、大日本帝国憲法と比較しての日本国憲法の長所について、全く明らかにされない。すなわち、主権者の大転換という、国民主権に関する憲法学の標準的な理解が、全く記載されていないのである。

 以上から、育鵬社教科書の記述は、憲法学の標準的な理解から逸脱している。そして、他社教科書と比較して、育鵬社教科書は、天皇主権という主権に関する大日本帝国憲法の大きな問題点を明らかにせず、また大日本帝国憲法と比較しての日本国憲法の主権に関する長所を明らかにしない。これでは、子どもたちは、主権について、大日本帝国憲法と日本国憲法との間の違いを学ぶことができず、国民主権の尊さを学ぶことができない。
このため、育鵬社教科書は、中学校教科書として不適切と言わざるを得ない。

第3 基本的人権に関する理解の誤り
1 基本的人権に関する憲法上の標準的な理解

基本的人権とは、人間の固有の尊厳に由来する普遍的な権利であり、公権力から侵害されない権利である(日本国憲法第11条、第97条)。すなわち、人権とは、憲法や天皇から恩恵として与えられたものではなく、人間であることにより当然に有するとされる固有の権利である。また、歴史的に、人間の権利・自由は、公権力によって最も多く侵害されてきた。このような沿革から、人権は、原則として、公権力によって侵されないものと理解され、憲法に具体化されているのである。すなわち、侵すことのできない「人権」の方が憲法より先にあるのであり、この「人権」を保障することを国家に約束させたのが、「憲法」なのである。これは、憲法の理念である、立憲主義の考え方である。
以上が、基本的人権に関する憲法学における標準的な理解である。

2 他社教科書の基本的人権に関する記載は、憲法学の標準的な理解に即している
(1)他社の教科書は、以上のような憲法学における通常の理解に即して、歴史的に、強大な権力を持つ支配者によって人々の意思を無視した政治が行われ、それにより人々が苦しめられたという歴史的沿革を取り上げている。
そして、これまで公権力によって行われた基本的人権の侵害となる例が具体的に挙げられている。すなわち、戦前における、治安維持法による言論弾圧・検閲・盗聴、神社神道を中心とする政策による信教の自由への制約やハンセン病患者への不当な隔離政策による人権侵害などである(教育出版42頁以下、東京書籍44頁以下)。
以上をふまえ、他社の教科書には、人権が、原則として、公権力によって侵されてはならないものであるという視点が示されている。
(2)また、具体的な人権の記載についての他社教科書の記載については、以下のとおりである。
まず、男女平等については、女性が男性よりも不利に扱われる傾向にあるという問題点が指摘され、その原因として「『男性は仕事、女性は家事と育児』という固定した性別役割分担の考えが残っている」(東京書籍48頁)ことにあることが挙げられている。すなわち、性差別に対する批判的視点が、適切に説明されている。
また、労働者の権利については、1日の労働時間は8時間以内、1週間の労働時間は40時間以内でなければならないとする労働時間規制や、1週間で最低1日は休日としなければならないという休日に関する規定など、「ワークルール」の重要部分が、図表を用いて分かり易く紹介されている。
さらに、加過重労働による「過労死」が現在社会問題となっているが、日本の長時間労働が他の先進工業国に比べて高い水準にあることが説明され、労働時間の短縮が重要な課題として取り上げられている。
以上のように、他社教科書は、具体的な権利についても、適切な説明をしている。

3 育鵬社教科書は、人権について特異な記載がされているか、著しく不十分な記載をしている
(1)公権力からの人権の不可侵性という視点が示されていない
育鵬社教科書は、まず、人権が公権力によって侵害されてきたという歴史的沿革に触れていない。また、人権が、公権力によって侵されてはならないものであるという視点をなんら明示していない。
その一方で、育鵬社教科書は、他社の教科書に比べて、人権が制限されるということや国民の義務について、より多くの紙幅を割いて説明をしている。そして、権利には「責任」や「義務」がともない、あたかも、これらの「責任」、「義務」を果たさない場合には、当然に人権の制約が正当化されるかのような誤解を生じさせる記載がなされている(55頁)。しかし、憲法は、あくまで人権の擁護を目的とする立憲主義の理念に基づく法であるため、人権擁護より義務を重視するかのような育鵬社教科書の上記記載は、誤った人権のとらえ方をしたものである。
以上から、育鵬社教科書は、公権力からの人権の不可侵性という視点が示されていないし、立憲主義からみて人権について誤ったとらえ方をしている。
(2)諸権利について、育鵬社教科書は他社と比較して、特異な記載がなされているか、記載が著しく不十分である
諸権利についても、育鵬社教科書には特異な記載や不十分な記載が目立つ。
たとえば、法の下の平等(日本国憲法第14条)については、「行きすぎた平等意識は社会を混乱させ、個性をうばう結果になることもあります。」といった、差別が許される場合をことさらに取り上げて説明し、平等権があたかも重要な権利でないかのような誤解を生じさせる記述となっている。あわせて、男女の平等については、「育児・家事に専念する専業主婦という形も、家族の協力のひとつのあり方」と強調したうえで、「職業をもつ女性には、家族が協力して家事の負担がかかりすぎないようにすることも大切」としており、あたかも、育児・家事を担うのが原則として女性であるかのような記述をしている。また、「家事」は、「お金でははかれないほど大事な価値をもった仕事だといえます」と強調して、家事の負担が女性に集中している現状を受け入れるよう誘導しており、性差別に対する批判的視点が見られない。さらに、男女平等については、婚姻の際に実際上女性が改姓を迫られている現状を改善すべく、夫婦同姓の強制を見直すべきとの声が高まってきた経緯があるにもかかわらず、育鵬社教科書は、統計上において同姓強制派が最も少なかった2001(平成13)年と、直近2012(平成24)年だけを比べることによって、あたかも同姓強制派が増えているかのように見せている(参照:http://www.moj.go.jp/MINJI/minji36-05.html)。このように、調査が、恣意的に引用されているのである。このことから、育鵬社教科書からは、実際上女性が改姓を迫られている現状を追認し、むしろそういった性差別を温存・助長する方向に誘導しようとする意図がみられる。
さらに、労働者の権利についても、育鵬社教科書は、「1日8時間労働制」の一言の記載しかない。そして、それが労働時間の上限を定める「規制」であることや、そういった規制が必要な理由について、具体的な記述がなされていない。加えて、日本の長時間労働が他の先進工業国に比べて高い水準にあり「過労死」の原因となっているという問題点に全く触れていない。これでは、中学生に対し、労働者の権利を保障する意義について伝えることができない。昨今、ブラック企業問題に対する社会の関心が高まっているが、育鵬社教科書で学んだのでは、ブラック企業に対抗するための労働者としての権利について、その基本的な知識すら身につけることができない。また、育鵬社教科書は、非正規雇用の問題について「産業構造が変化し、経済のサービス化・ソフト化が進んだため、第三次産業の雇用が増大」していることから「身分が不安定な非正規労働者が増えてい」るといった的外れな説明を行うにとどまり、不景気の際に職を失いやすいことや賃金が低いといった基本的な説明すらなされていない。非正規雇用の問題は中学等卒業後社会に出る生徒らが真っ先に直面する問題であり、他社が充実した記述をしているのと対照的である。

 以上のように、人間であることにより当然に有するとされる固有の権利である人権が、公権力によって最も多く侵害されてきたという沿革から、公権力から不可侵であるべきという非常に重要な原則が、育鵬社教科書では欠落している。また、憲法に規定されている人権についての記載も、育鵬社教科書は、他社と比較して、特異な記載がなされているか、記載が著しく不十分である。
これでは、子どもたちに、人権の重要性や人権の内容が適切に伝わらず、義務や責任ばかりが教え込まれるおそれがある。
このため、育鵬社教科書は、中学校教科書としてやはり不適切と言わざるを得ない。

第4 平和主義に関する特異な見解の強調
1 平和主義に関する憲法上の標準的な理解

平和主義(日本国憲法第9条)について、憲法学の標準的な理解は、「日本国憲法は、第二次世界大戦の悲惨な体験を踏まえ、戦争についての深い反省に基づいて、平和主義を基本原理として採用し」たと説明する(「憲法【第五版】」芦部信喜)。すなわち、平和主義は、先の戦争に対する反省をふまえ、日本国民の平和への希求が顕れたものであるというのが、憲法学の標準的な理解である。

2 他社教科書の平和主義に関する記載は、憲法学の標準的な理解に即している
他社の教科書においても、「なぜ、このような(注:日本国憲法第9条)内容が憲法に示されているんでしょうか。それは、日本がかつて戦争によって、他国の人々の生命や人権を奪い、また日本国民自身も、同様に大きな被害を受けたことで、その悲惨さを痛感し、深く厳しい反省をしたからです。」(教育出版66頁)、「多くの犠牲を出した戦争と戦前の軍国主義への反省に基づいて、平和を求めて戦争の放棄を宣言しています。」(東京書籍39頁)などと説明されている。
このように、他社の教科書の平和主義に関する記載は、先の戦争への反省をふまえて平和主義が規定されたとされており、憲法学の標準的な理解に即した記載となっている。

3 育鵬社教科書は、平和主義が押し付けられたものにすぎないと説明している
これに対し、育鵬社教科書は、日本国憲法において平和主義が掲げられることとなった沿革をまったく説明していない。
すなわち、育鵬社は、「第二次世界大戦に敗れた日本は、連合国軍によって武装解除され、軍事占領されました。連合国軍は日本に非武装化を強く求め、その趣旨を日本国憲法にも反映させることを要求しました。」(56頁)と説明するのみで、先の戦争の反省についてなんら言及していない。そればかりか、戦争放棄や戦力不保持が、連合国軍によって押し付けられたもののような記述がなされている。さらに育鵬社教科書は、平和主義だけでなく、日本国憲法自体が連合国に押し付けられたものであるという記述に、多くの紙幅を費やしている。
これでは、先の戦争の悲惨な経験から平和主義がようやく規定され、国民が戦後70年にわたり平和を享受できたということが、全く子どもに伝わらない。むしろ、平和主義が、他国から押し付けられた、とるに足らないものであるかのように伝わるおそれさえある。

 以上から、育鵬社教科書では、子どもたちに、平和主義の大切さが伝わらない。このため、育鵬社教科書は、中学校公民教科書として不適切と言わざるを得ない。

第5 結論
教育は、子どもたち一人一人の人格の完成を目指して行われる営みである。その教育が、秩序の形成、維持、強化といった、ときの政治権力の思惑に絡めて行われるとすれば、それが深刻な人格侵害をもたらすことになることを、わたしたちは歴史から学んでいる。
育鵬社教科書は、これまで述べてきたとおり、日本国憲法が規定されるに至るまでの、悲惨な体験や反省をまったく踏まえていない。そして、我が国の根本法である日本国憲法の3大原理について、憲法学の標準からみても誤った説明をし、また読み手(子どもたち)に対して特異な見解ばかりを強調し、子どもたちを一定の方向に導こうとする意図が透けて見える。
このような教科書を用いた教育指導を受けることにより、子どもたちが、憲法学の標準からかけ離れた見解にしか触れられずに育ちゆくとすれば、それは子どもの学習権の侵害にほかならない。
わたしたちは、法律家として、このような事態を見過ごすわけにはいかない。子どもたちが、日本国憲法制定までの歴史や憲法学の標準を適切に学んだうえで、どんな大人にも恣意的な誘導をされることなく、それぞれの子ども一人一人の可能性を自由に発揮していくことのできるような教育を受けられるよう、切に願うものである。
ここに、各地の教育委員会等がこのような問題のある教科書を採択することのないよう強く求めて、わたしたちの意見を表明するものである。

以上