自由法曹団5月集会・教育分科会に参加して

先日、弁護士団体・自由法曹団の5月集会に参加しました。
全国から大勢の弁護士が集結し、改憲、原発、TPPなど、社会で起きている様々な問題について分科会を設け、活発な議論が交わされました。

課題が山積していることが浮き彫りになる分科会のラインナップ。どの分科会も緊急を要する問題ばかりで、どれに参加すべきか悩んでしまうほどでしたが、今回は、これまで当事務所でも積極的に取り組んできた教育問題に関する分科会に参加しました。

ここで少し、私が教育問題について関心を持ったきっかけをお話ししたいと思います。

法律事務所の職員として勤め、社会問題に触れる機会が増えたことで、今では諸問題に対して当事者意識が芽生えるようになりましたが、勤め始める前は政治や社会問題への関心が希薄で、世間の風潮に合わせてコロコロ転がる、いわゆる“B層”でした。

しかし、そんな私でも、こと戦争に関しては絶対的な不正義を認めていて、「平和のためには武力行使も仕方がない。」だったり、「あの頃(戦前や戦中)の日本人の精神・姿勢は素晴らしかった。もう一度あの頃の様に。」という意見を持つ人が、ごく身近にいる環境下にいましたが、決してそれに同調することはありませんでした。

そんな折、当事務所の主に穂積弁護士、阪田弁護士が取り組んでいる教育問題に触れていく中で、私が学んだ教科書とはまるで違う、歴史認識や価値観を大きく変えようとする教科書の存在を知り、その内容と、当時それが日本中で採択されようとしているということを聞き、これからの日本はどうなってしまうのか、と恐ろしくなったのを覚えています。

なぜ私は、無関心でありながらも確信を持って戦争を否定することが出来たのか。
あまりに明々白々で、それまでは疑問に感じたこともありませんでしたが、その時、その要素のほとんどが学校教育によって培われてきたものなのだ、ということに気付かされたのです。
学校で、その不当性や理不尽さ、悲惨さを教わった私にとって「正しい戦争などない。」ということは、改めて公言するのも憚られる程、至極当然なことでした。

戦争体験者の方から直接話を聞ける機会も失われつつある中、あたかもそれが正当だったかのように記述されている教科書で学んだ生徒は、戦争に対してどのような印象を持つのでしょうか。

現在、横浜市では全国最多147校の中学校が育鵬社の教科書を使用しています。中学時代を横浜市で過ごした私の母校でも後輩達が育鵬社の教科書で学んでいます。
私が「当然」と思っている事が、彼らには違って映るかもしれません。

分科会の中で、育鵬社の歴史教科書には『大東亜戦争』という記載があることが触れられました。これについて教員用指導書には「大東亜戦争という公式名称に触れつつ、戦況の推移や日本軍の進撃地域を理解させる。」とあります。
また「なぜ、日本政府はこの戦争を『大東亜戦争』という名称にしたのか。」という発問例を挙げていることから、侵略戦争であったことを否定させようとするねらいが伺えます。

公民教科書では、ご存じロック、ルソー、モンテスキューを差し置き、エドマンド・バークという聞き慣れない人物(フランス革命を強く批判し「保守主義の父」と呼ばれたそうです。)を大きく取り上げていることが紹介されました。

育鵬社教科書ではバークの思想を、人権の歴史の項において[理解を深めよう]という補足欄を用い

「最も大切なもののひとつは、社会秩序を維持するために必要なモラルやマナーやルールに関するものであり、それらが守られてはじめて自由や平等も守られる」と説いた

と解説しています。
教員用指導書では、バークを取り上げたそのねらいを「3人の人権思想家と対比して、伝統的なモラルやマナーを重視する思想家がいたことを紹介する。」としています。

さらに、一節では

バークが最も嫌悪したのは、現在ただ今を生きている者が、ただそれだけの理由で、まるで万能者であるかのように、先祖を顧みることなく、その「理性」を振り回して世の中を変革しようなぞという『なりあがりの高慢』な態度を示すことであった。
その意味では『理想的で人間的な自由』なぞという発想は無秩序をもたらすものでしかない。

と、バークの保守的な思想を強調しています。

伝統、モラル、マナーといった主観的な事柄をクリアするか否かで、守られたり守られなかったりするものが果たして「自由」や「平等」と呼べるのでしょうか。
彼らの目指す「秩序」のために押しつけられた価値観は、多様性とはほど遠い、暗く狭い世界への入り口を開けようとしています。

(育鵬社教科書の問題点は、これだけに収まりません。詳しくは、当事務所の穂積弁護士も執筆に携わった「育鵬社教科書をどう読むか」という書籍でも分りやすく解説されていますので、興味をお持ちの方は是非ご一読ください。)

分科会では、この他にも政府による教育現場へ介入・圧力等、様々な問題について報告がありました。
一体、日本の教育はどうなってしまうのか。安倍内閣の言う『教育再生』は私にとって『破滅』に等しい響きです。
改めて、問題意識が刺激された5月集会となりました。